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亡くなった父から学んだ最も大切な3つのコト

コロナがきっかけで父が亡くなって、もうすぐ1年が経とうとしています。1年経って心の整理ができ、1周忌は東京にある墓地にお参りに行くため、今回のブログで父について綴ってみます。

父が5歳の時に父親を病気で亡くし、戦後間もない中で幼い4人の子供を学校教員であった母親が1人で子育てできるわけもなく、父は高校生くらいまで親戚の家を転々として育てられたそうです。そんな父なので「夫・父とはどういう存在で、どんな役割を家庭内で担うのか?」という心の中にイメージできるロールモデルもなく、自分自身が同じ立場になって感じるのは「本当に大変な思いで夫として、父としての立ち振る舞いをしていたんだな」ということです。そんな父から学んだ最も大切な3つのことに、今日は思いを馳せたいと思います。

学び1)リスクを取ってもやりたいことに本気で打ち込み、その姿を子供に見せること
父は似た境遇で育った双子の兄と仲が良く、職業・仕事選択も双子の兄のそれをよく真似ていました。例えば、双子の兄が墓石売りを始めれば、父も墓石を売り始めたり、双子の兄がタクシー運転手に転向したら、父もタクシー運転手に転向したりしてましたね。笑 その父が私が生まれた時から双子の兄と共にやっていたのが自営のクリーニング屋さんでした。クーラーも無い中、真夏でも80-200°Cにもなる大きいアイロンを片手に汗だくになりながら、ほぼ毎日アイロンがけをしている姿を見ていました。両腕の太さが全く違うくらい本気で打ち込んでやっていましたね。

私が13歳になる頃には、機械クリーニングを導入した大型クリーニング店が次々と生まれて、父の店は経営に苦しんで潰れてしまいました。当時父の職業を小馬鹿にされることもありましたが、私は「サラリーマンという比較的安定した職業ではなく、リスクを取って自分のやりたいことを見つけて本気で打ち込めるってかっこいいなぁ」とずっと思っていました。笑 これが父から得た最も大きな職業的な学びかもしれません。

学び2)どんなに周りから非難されたり、馬鹿にされても自分の正義を貫くこと
私が小学校6年生(12歳)の頃、私が同級生と殴り合いの喧嘩をする様子を見て怖くて不登校になってしまった友達がいました。私は直接その子に暴力を振るったことが一度もなかったので我関せずだったんですが、父は当時私が所属していた野球部の保護者、その子とその子の親に土下座をして謝ったと母から後で聞きました。「自分よりもガタイが大きかったり、強い人間が誰かをいじめていたり、暴力を振るっていたら見て見ぬふりをせず、身を張って助けてやれと息子にはずっと教育してきました。息子はその教えを守って来たと思いますが、過剰にその力を振るって周りを怖がらせてしまい、友達が不登校になってしまいました。本当に申し訳なく思いますし、息子には強く言い聞かせました。どうか許してあげてほしい」と泣きながら謝っていたそうです。

その当時は「余計なことするなよ、何でもかんでも俺を悪者にするな!」と浅はかな憤りを覚えてましたが、自分自身が父の立場を大人になって想像した時、父の私への深い信頼と愛情を感じることができました。また、自分自身の正義を強く持って貫き通したい時にこの出来事を思い出すようにしています。

学び3)弱さと優しさはワンセットであること
父は、辛いことや嫌なことがあるとアルコールに逃げ、軽度のアルコール中毒でした。飲酒運転をして警察にお世話になることも何度もありました。そんな父を軽蔑することは多々ありましたが、一方で本当に優しい一面を持った人だったと思います。自分が挫折したり、外見を母に非難・誹謗中傷されて自己肯定感が激減する度に、「正紀なら大丈夫だから!俺はお前はハンサムだと思うよ」とポジティブな言葉をかけ続けてくれたのは父でした。笑 今思うに無意識か意識的かわかりませんが、自分自身が弱っている時にかけてもらいたかった優しい言葉を私にかけてくれてたんだな、と。弱さがあるからこそ、相手に優しくなれると教えてもらった気がします。

父が亡くなった時は会社も大変な時期だったので、父が亡くなってしばらく父のことをできるだけ考えないようしていました。でも、今度の1周忌ではゆっくり父の墓石の前で父と会話できることを今から楽しみにしています。

SOPHOLA株式会社
創業者兼代表取締役
飯野 正紀